どうしてこうも違うのだろう
22日朝に、福島県沖を震源とする地震が発生し、困難な状況にある方もたくさんいらっしゃるのではないかと心配しています。
海外にいると、どうしても日本の情報に疎くなりがちで、私自身良くわかっていないことが多く申し訳ないのですが、辛い状況にいらっしゃる方が少しでも早く安心できますよう、心から願っています。
実は、本当に許しがたいというか信じられないことに、日本で災害が起こると、こちらのニュースサイト(読者のコメント機能付き)にはそれを喜ぶコメントが溢れ、しかもそのコメントにfacebookでいう「いいね」が付き、しかもそれが瞬く間に増えていく。
ちなみにこれは、こちらではごくありふれた、ごくごく普通の日常で、特に珍しいことではない。
それを偶然目にしてから、同じ人間なのに、日本人と中国人、どうしてこうも違うのだろうと心底ガッカリしている。
私は、人間は基本的な部分で同じだと思っている。
自分は直接知らなくても、誰かが困難な状況にいると聞くと胸が痛むし、
災害や事故で亡くなった方がいる、と聞くと辛い。
事故や災害が拡大せず、被害が最小限であればいいのに、と願う。
辛い思いをしている人が、ひとりでも少ないことを祈る。
これは、誰でも思う、ごく普通のことだと思ってきた。
でもどうやら、こちらの人は違うようなのだ。
これも立派な、「反日教育」の成果なんでしょうな。
同学がわざわざSNSで今朝の地震についての記事を送ってくれたが、
「在日華人の無事を祈る」ってだけで、肝心の日本人については特に言及のない記事であった。
対照的に、同じ寮に住むインドネシア人留学生は、私を見るなり駆け寄ってきて、
「日本でまた大きな地震があったってね、心配しているよ。津波も心配だね」
と言ってくれて、とてもありがたく感じた。
そんなこんなで今日も大層気分が沈んで心が塞いでしまい、寒空の下、珍しくわざわざ外出してきた。
向かった先は、ユニクロと無印良品。
私なりの「日本頑張れ!」の意思表示として、安いものしか買えなかったけど、精一杯の金額を散財してきた。
こんなことしたって、何の役にも立たないかも知れない。
でも、日本の震災を喜ぶこちらの人々に、私なりに抵抗したかった。
人々の悪意に、負けたくなかった。
人々からどれだけ悪意を向けられようと、私はそれに染まりたくない。
人の不幸を願うようになったら、それこそ相手と同じ低みに落ちてしまうから。
こう考えてしまう私は、やっぱり日本人なんだなぁ、と思う。
「朱に交われば赤くなる」
私は真っ赤に染まった、真紅の国にいるけれど、心はいつまでも日の丸の白地のように真っ白でいてやんよ。(=゚ω゚)ノ