みみずくDiary in China

中国留学中のみみずくによる普段着のChina徒然日記

ちょっと気になる

私の住んでいる年季の入った学生寮は、左右に長い1フロアの各隅っこに1台ずつ、計2台の洗濯機が置いてあるランドリースペースがある。

そのうちの1台の洗濯機は長らく故障中で、何度言っても修理してくれない。

(っていうか、古いから買い換えた方がいいと思うのにしない。)

そこで、もう1台の方を使うようにしていたのだが、昨年末使っていて異変に気付いた。

「ウイーン、ウイーン」とモーター音はするのだが、洗濯層を覗くと、中の洗濯物は微動だにしていないのだ。

 

おかしいなと思い、勿体ないなとは思ったけど、電源を落として再チャージし、再び洗剤とびちゃびちゃの洗濯物を入れて再稼働させるも、やはりモーター音はするのに、肝心の洗濯層の中の洗濯物は、やはり微動だにしないのだ。

この洗濯機も壊れたんだなと思い、びちゃびちゃの洗濯物をどうしよう…と考え、試しに脱水してみると、何と、脱水だけはできる。

仕方が無いので、とりあえずこの壊れた洗濯機で脱水だけはして、違うフロアのランドリーに移動して今度はきちんと洗濯を済ませ、ちょうど見回りに来ていた寮監さんに、「(私の住む階の)洗濯機壊れてるよ」と伝えた。

 

…のだが、モーター音だけはするので、「壊れていない」と判断されてしまった。

何度も「いや、音はしているけど、洗濯層の中身が動いてないから壊れてるって!」と主張したのだが、「気のせいだ」と言われ、そのまま…。

普通、洗濯層に水が溜まってても、モーター音はするのに肝心の水が動いていない=攪拌されていない、つまりは故障してるってわかるよね?

でも、中国人にはそれすら理解できないらしい。

もしかして、超音波で洗濯してるとでも思ってんのかね…?(-_-;)

 

よって、モーター音だけはするが、洗濯層の中身はびくともしない洗濯機は、私以外の誰にも異常を気付かれることなく、今日も元気に「ウイーンウイーン」と音だけさせている。

この洗濯機に投入された洗濯物に生じている状況としては、

   洗剤の入った水に洗濯物が浸かる

        ↓

   洗濯水に浸かったまま、攪拌されずに脱水される

        ↓

   水に浸かるが、攪拌はされずに脱水←これを2回繰り返す

であり、冬だからまだマシかも知れないけれど、下着などぶっちゃけかなり不衛生な状態である。

 

しかし不思議なのは、誰も「洗濯物が攪拌されていない」のに気付いていないことだ。

ちなみに、何人かには「洗濯層の中身回ってないから、壊れてるよ」と伝えてはいるのだが、誰も、マジで誰も、気にしていない…。Σ(・ω・ノ)ノ!

これ、逆に凄くない???

 

だって、汚れた洗濯物が、攪拌もされずに洗濯水に浸かるだけ→脱水→水に浸かるだけ→脱水、って、絶対に清潔になってないじゃん???

でも、みんな平気。

 

ランドリーの洗濯物を干せるスペースには、物凄い臭いを放つ洗濯物がぶら下がっているんだけど、誰も気にしている様子はない。

この凄まじい臭いを放つ洗濯物の持ち主、ほとんどが女子だからね。驚くしかない。

私は臭い衣類を身に付けるとか無理。

いや~、やっぱり私は「清潔大好き日本人!」なんだなと実感する。

 

以上、ちょっとどころか実はだいぶ?気になることでした。

 

あ、ちなみに私は洗濯は別フロアに行って、壊れていない洗濯機で済ませてます。

ちゃんと攪拌されてるのを毎回確認しているから、私の洗濯物は清潔だよ!٩( ''ω'' )و

2017紅白歌合戦まとめ

www.nhk.or.jp

 

あけましておめでとうございます

こちら中国では未だ年明けはしておりませんが、私は日本人。

年神様をおもてなしするため、年末には大掃除もするし、三が日は伝統に則ってなるべくゆっくり過ごし、三が日が明けてからお掃除などの家事を開始する、と極めて日本チックに暮らしております。

特に年末の大掃除は、他宗教の寮の仲間たちにも「日本の伝統」としてすっかり認知されており、「おっ!みみずくが恒例の日本の伝統的習慣の掃除してる!」と声を掛けてもらうまでになりました。

おまけに、今回はちょっとだけ贅沢に、近所にできていた抹茶スイーツ店に抹茶ぜんざいを大晦日に食べに行き、元旦にはお寿司をデリバリしてよりお正月らしく過ごし、ぼっちではありましたが大満足なお正月を過ごしております。

 

さて、私がこのブログで地味に恒例にしているもの、それはNHK紅白歌合戦のまとめなんだけど、今年もやります!

 

っていうか、これ、言っちゃっていいのかわかんないけど、こちらに数多ある動画サイトのいくつかで、NHK紅白歌合戦は(違法に)生配信されており、私も後半からだけど日本とリアルタイムで視聴できたのだ。

私が日本とリアルタイムで見たのは、Perfume(後半戦34曲目)から。

こちらでも、ネット配信は日本と同じく「弾幕」*1と呼ばれる、視聴者がリアルタイムで投稿する字幕付きで視聴する。

だから、中国人の視聴者がどんな感想を抱きながら日本のNHK紅白歌合戦を見ているのか、まさに生の声を聞きながらの視聴となり、私も大いに楽しむことができた。

 

以下では、2017NHK紅白歌合戦を、気になった部分だけ簡単にまとめる。

また、リアルタイムで見たPerfumeからは、印象に残っている中国人視聴者の「弾幕」の言葉も紹介する。

*1:これ、日本からの逆輸入語でこちらも使われているのだが、日本でも「弾幕」という名称でいいのだろうか。もし違っていたら何と言うか教えてください。新しく出てきた最近の日本語は、良くわからないのです。(^▽^;)

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年末のご挨拶

日本はもう年末。

昨日で仕事納めという方も多いのではないかと思う。

中国の場合、旧正月(2018年は2月16日)を祝うので、新暦の12月31日は大晦日でもなければ、2018年1月1日は新年でもない。

よって、現在も年末の雰囲気は皆無。

 

では、新暦の新年をどう過ごすのかというと、これまた特別何もしない。

若者の間では、世界的な習慣に従ってカウントダウンパーティに出かけたり、仲間で集まって食事会をしたりする人もいるにはいるが、多数派ではない。

いつもと同じように過ごすのが大多数である。

 

新年を迎える日にちが毎年変わるのは、未だに奇妙だなと思ってしまう。

そして、「中国の習慣=全世界共通の普遍的な習慣」と信じて疑わない中国人からは、今年も「春節は日本に帰ってお祝いするの?」と聞かれ、毎年苦笑しながら同じ説明をする。

「春節を祝うのは中国と中華圏の一部の国々だけで、日本を含む多くの国々では新暦の1月1日を祝う。春節の時期に日本に帰っても、新年の雰囲気は皆無だよ」

と。

毎年毎年、これまた同じような人々に繰り返し説明をしなければならない。

 

中国人は、

「外国人に中国文化を理解させる=国際交流」

だと信じて疑っていない。

逆は決してない。

彼らは永遠に海外の文化を学ぼうとはしないし、許容も受容もしない。

彼らは外国人に、中国文化への理解と許容を強要してくるけれど、彼ら自身は決して外国文化を理解しようとはしないのだ。

 

年末の慌ただしい時期にこんなことを書いてしまって、ネガティブすぎるかな。

でも、偽らざるこちらの実情だ。

 

日本は逆で、外国人のことは許容するし、外国の文化だからと拒絶することもなく、受容する。

そして、外国人への我慢が募りすぎて、日本人が苦しくなる。

ここに、「日本で母国以上にのびのびと暮らす外国人と、我慢を募らせて苦しんでいる日本人」という構図が生まれていると思う。

 

本当に、日本と中国って似て非なる文化にあると思う。

 

とまあ、今住んでいる国への愚痴はこれくらいにして。

 

この一年、名実ともにはてブロいち、地味な当ブログにお越しいただきました皆さま、本当にありがとうございました。

来ていただけたことだけでもありがたいのに、なかには優しいコメントをくださる方、メールをくださる方もいらしたりして、孤独な生活を送る中、どれだけ励まされたか、計り知れません。

 

ブログを通じてですが、“人とつながること”へのありがたみをひしひしと感じています。

どうか皆さま、良いお年をお迎えください。

そして来年も、もし気が向かれましたら、たま~にこちらを覗いていただけると幸甚です。

来年も今年同様、こちらを通じてたくさんの出会いがあったら嬉しいな、と思っています。

良くないこと、不愉快なことは全て年内でお終いにして、皆さまの年末年始が、幸福一杯の素晴らしいものでありますよう、心より祈念いたします。

限界

この国の監視システムについて、もう私は限界かも知れない。

我慢ならない。

なぜこうも監視されなければならないのか。

外国人がそんなに嫌ならば、受け入れなければ良いじゃないか。

私の母国の日本なんて、日本人は窮屈な思いをして、外国人は母国よりのびのびと楽しく生活しているように見えるけど?

 

本当に我慢ならない。

誰か

「誰かと話したい」とき、ないですか?

私は今がそうなんだけど、相手がいない。

話したいのは中国語じゃないし、そもそもゴリゴリの中国人とは話が合わない。

 

とりとめのないことを話したいんだ。

生産性のない会話でいいんだ。

 

「泣きたいけれど、もう涙さえ出ない」

本当にその通り。

 

私には話をする「誰か」さえいない。

名探偵みみずく

先ほど、いつも大人しい私のスマホがけたたましく鳴った。

滅多に鳴らないので、普段、私は知らない番号からの電話には出ない。

ただ先ほどはぼんやりしていて、ネットショッピングしてたっけ…?配達の方かな?と思って出てしまった。

(実際にはネットショッピングなんてしていないのに…。)

 

すると先方は、知った風で突然話を進めてくるが、何のことやら皆目わからない。

「ちょっと、何のこと?ってか誰?」

と聞くと、「Tだよ、知ってるでしょ?」と言われるが、そもそもそんな知り合いはいない。

声の感じからするに、恐らくは50代くらいの女性。

ますますそんな知り合いはいない。

しかも、もし知り合いならば、私が外国人だとわかっているから、まずは私本人が出たのか確認してくれる。

「知り合いではないです」

と言って切ったのだが、そこから始まる鬼電…。

切っても切っても、何度も掛けてくる。

何なんだよ…。(-_-;)

 

それでも無視し続けていると、終いにはショートメールで、

「T△〇(フルネーム)だよ、Mちゃんがアンタに電話掛けてくれって。Mちゃんの娘のこと聞きたいって」

とメッセージが来たから、

「掛け間違いですよ」

と返信して、ようやく鬼電が止まった。

 

で、ここからが私のなんだけどさ。(´艸`*)

TさんとMちゃんが友人関係か年の近い同僚関係だとして、掛けてきたTさんの推定年齢からするに、Mちゃんの娘さんは恐らく20代。

私はそのMちゃんの娘さんの友人(もしくは知り合い)と、携帯番号が似ていたのだろう。

しかも2分の1の確率で女性の私が出たから、Tさんは私のことをMちゃん娘の友人と思い込んだのだと思う。

ここで登場人物を整理すると、

  • Tさん:50代、Mちゃんの友達(or同僚)
  • Mちゃん:50代、20代の娘がいる
  • Mちゃん娘:20代
  • Mちゃん娘友人:仮にX氏とする

 

Mちゃんが、自分の娘の友人X氏に自分で直接電話をかけることができなくて、わざわざ友達のTさんに頼んだ、ということは…。

MちゃんがX氏に聞きたいこと、

それは恐らく、娘の関係だね。(したり顔)(´◉◞౪◟◉)

 

女親として、娘の異性関係を心配して、娘本人に問い詰めたい事情が生じたのだろう。

でも、様々なしがらみがあって娘本人に直接聞くことは憚られる。

  かと言って無視することはできない。

  でも、どうしても聞いて確認したい!

  あ、そうだ!娘の友人X氏に聞けば良くね?

  でもでも、自分で直接電話かけて聞くなんてやっぱり無理!!

  あ、じゃあTさんに頼んじゃお!

     ↓

  私へ間違い鬼電

 

なんじゃないかな~って。

電話の感じからするに、Tさん、Mちゃん、Mちゃん娘、X氏の4人は、何らかの形で面識があったように思う。

 

それにしても、Mちゃん娘よ!

Mちゃんは良いお母さんじゃないの、心配かけちゃダメよ!!

ダメ男とはキッパリ縁を切って、他に良い男見付けなさい!!!

無関係なオバチャン(私)まで、Mちゃん娘のことが心配になっちゃったじゃないの!!!!

いい?!ダメ男とは縁を切って、お母さんを安心させてあげなさいよ!!!!!!

 

って、ただの妄想なんだけど、見た目は中年、中身もBBAな名探偵みみずく、結構イイ線行ってると思いません???( *´艸`)

1本の間違い電話から、ここまで妄想させてくれて、こりゃどうも、っていうお話。

師走

気付けばもう師走。

今年も残すところあと数週間となった。

こちら中国では旧正月*1を祝うので、新年までまだ2カ月ほどあり、年末の雰囲気は皆無。

こちらの生活も長くなり、私も12月を一年の最終月とも思わなくなってきた。

但し、クリスマスがあるのでそこだけは特別な月だと思っている。

 

私の場合、変なところで妙に律儀なので、毎年クリスマスからキッチリ3週間前の日曜日にクリスマスリースを寮の部屋のドアに飾る。

部屋の中にも勿論、ささやかにクリスマスツリーを飾っている。

スヌーピーのミニツリー。

高さ20cmほどの、本当にミニミニツリーだけど、気に入っているので毎年飾っている。

 

クリスマスだけは、どんな宗教でもどんな境遇にある人でも、幸せに心穏やかに過ごす権利のある日だと勝手に思っている。

だから、この日一日だけは誰もが温かい場所で、空腹にも悩むことなく、幸福な気持ちで過ごせるよう、自分の出来得る限りのことをそれを求めている人に手助けするべき日、でもあると勝手に思っている。

 

優しさは自分のためにあるものではない。

他の人からもらったものを、再び他の人に受け渡していくもの。

もらった優しさって、溜めてばっかりじゃダメなんだと思う。

循環させて行くものなんだと常々思っている。

 

師走の一日一日を、自分には何ができるのかを考えながら今年も過ごしていこう。

*1:2018年2月16日。