自分に腹が立つ
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、幼少期の教育は一生涯に影響を及ぼすと思う。
いくつかあるが、私の場合、「分け与えよ」というのがそれだ。
ものでも、情報でも、持てるものは分け与えなければならない。
特に食に関しては、自分が持っているものは分け与えるものだ、と思い込んでいる。
だから、食事の支度をしているときに知り合いに会ったりたまたま連絡が来たりすると、「ご飯食べた?」「○○作ってるよ、食べる?」と聞くのが半ば習慣になっている。
幸か不幸か、私の周りにはムスリムが多く、豚肉やポークエキス、酒が入っているものは分けられない。
そこで、たまたま日本人に会うと、自分の取り分を少なくしてでも相手に分けてしまう。
そして、不快な気分が深まる。
というのは、周りにいるのは「女性=男性の世話をして当然の存在」と思っている日本人男子学生だけだからだ。
詳細は、過去記事参照。
結局イライラしてしまうのだから、最初から分け与えなければいいだけの話だ。
なのに、「三つ子の魂百まで」。
自分の生命に異常を来たさない限り、少々お腹が満たされなくても、相手に分け与えてしまう。
分け与えてもらうだけの日本人男子学生にしてみれば、こんなに便利な存在はいないだろう。
もちろん、私は見返りを求めてしていることではない。
よって、今まで唯の一度もお返しをしてもらったことがない。
多分、日本人男子学生にしてみれば、お礼をするとか、そんな気もないんだろうね。
だって彼らにとってみれば、「女性=男性の世話をして当然の存在」だもの。
与えてもらって当然で、それは享受するだけのもの。感謝すべきものではない。
まあ、育ちも関係あると思うけど。
やっぱり、結局腹が立つのは“自分”になのだ。
分け与えなければよい。
しかし、分け与えずにはいられない。
ホント腹が立つわ、自分に!