“未来”を怖がらない
日本人の友人と話していると、色々と気づくことがある。
一番に思うのは、みんな未来を怖がっているということ。
多分これは、日本という国の行く先を心配してのことだと思う。
確かに、こう言ってしまうと嫌がられるのだけれど、日本はもう、沈み行くしかない国だ。
日本人のみによる人口増も、もう金輪際望めない。
とはいえ、国民感情的に外国人移民を受け入れることも、きっと抵抗感が大きいだろう。
(贅沢言っていられないから、受け入れざるを得ないけど。)
老後くらいは安泰かと思いきや、日本の年金制度は先行きが怪しすぎる。
少子高齢化で、老人を支える子供がいないのだから。
恐らくこの先、60歳定年も65歳定年もどうかなという感じだろう。
最終的には70歳くらいまで定年年齢が上がる可能性も否定できない。
年金受給開始年齢がどんどん上がるのだから、必然的に定年後も働かざるを得なくなる。
しかしAIの発達で、生身の人間ができる仕事はどんどん少なくなっていくだろう。
果たして、高齢者が働ける職が、この先もあるのかは不透明。
…日本の未来は、どう考えてもお先真っ暗。
でもね、未来って、「未だ来ない」から“未来”なんだよね。
まだ来てないんだから、今から怯えてたって、その時間が無駄。
だからこそ、自分がやりたいように、思うようにやってみればよい。
その結果うまくいかなかったら、どこがいけなかったのか検討して、再試行。
トライ&エラーを繰り返すしかない。
これ、いくつになってもどんな人でも当てはまることなんじゃないかと思う。
どの人も平等に、絶対的な安定なんてない。
…公務員になったから安定?…それも怪しくない?
パワハラにセクハラに各種冤罪。
たとえ自分はイノセントでも、どこで何がどう身に降りかかって、足元掬われるかわかったものじゃない。
それに、どんな人だって、いつ事件や事故に巻き込まれるかわからない。
真面目に清廉に生きていたって、不可避なことは山ほどある。
まだ来ていない“未来”を心配するだけ無意味。
だったら、毎日自分を楽しくさせて、明るく前向きに生きるほうが建設的。
そう考え、自分に言い聞かせた今日の午後。