みみずくDiary in China (だった)

中国留学からニッポンに帰国したみみずくによる普段着の徒然日記

何だかなぁ、と思った話。

大抵は留学生活に関係のない話を徒然に綴っているこのブログ。

今日は、いつにも増して留学にひとかけらも関係のない話を綴ってみる。

ただの、疑問というか憂さ晴らし、鬱憤晴らし。

よって、以下全文閲覧注意。

 

 

 

日本にいる友人と話していてちょっと驚いたことがあるのだが、十年以上男女の関係にある異性が結婚という道に進まないのは、どういう理由があるのだろう。

私にはこれが本当にわからない。

 

私の友人は、交際異性ともう十年以上男女の関係にあるそうだが、彼らはお互いに相手のことを「彼氏」「彼女」という交際関係ではない、という。

便宜的に「彼氏」「彼女」という呼称は使うものの、日本では“恋人たちのイベント”とされている昨年末や今月あった例の日に「今年も寂しく過ごしちゃったわ…」とLINEを送ると、「同じく~!」と友人から返事が来て、私はますます混乱してしまうのだ。

最も解せないのが、友人のお相手は全国転勤の可能性のある職業なのだが、それにいつでも着いて行けるよう、友人は非正規労働者のままでいることだ。

 

お相手の職業は、危険も付きまとう。

だから、何か大事が起こってお相手を送りだす際には、私の友人も緊張するし、一定の覚悟もするそうだ。

…でも、十年以上一緒にいるのに籍も入っていないんだから、もしお相手に何かあって入院するようなことがあっても、私の友人は書類上も全くの“他人”なので、病室にすら入れてもらえない可能性がある。

 

私がモヤモヤする必要は皆無なんだけど、これって、ただの都合の良い存在なんじゃないの???

 

  • 十年以上一緒にいて、肉体関係がある
  • たまに部屋に来て、一緒に過ごす
  • ドライブなどは友人がドライバーを務める

 

でも、お互いに「彼氏」でもなければ「彼女」でもない。

 

もし私がそのお相手だったら、自分の職業が場合によっては生命の危険が伴うならば尚更、お付き合いをしている異性との関係はきちんとしたい。

愛情を、権利保障というかたちで相手に示したい。

だから、自分に万一があった時のため、法的保障を相手に受けてもらえるようにしたい。

それができない、したくないっていう理由が私にはわからないのだ。

 

愛情に法的保障を与えることもせず、十年以上も肉体関係だけあるって、どうなんだろう…。

お相手にも友人にもとても失礼だけれども、(私を含め)お互いにもうとっくにいい歳なんだから、今から新たに相手を探して、若い相手とどうこうできるものでもないと思う。

なのになぜ、お相手は私の友人を飼い殺しにできるのだろう。

愛情に結婚という法的保障を与えてあげられないのであれば、早く友人を解放してあげてほしい。

友人に愛情の法的保障を与えてくれる人が、このお相手以外にもきっといるはずなのだ。

可能性は低くとも、ゼロではない。

 

「結婚というかたちにはこだわらない」という人たちも増えた昨今ではあるが、それはあくまでも、両者が経済的自立を確立している場合に限ると思う。

私の友人の場合、本人は非正規労働者である。

しかも、相手からの結婚の申し出を期待して、何年も正規労働者になることを自ら拒んでいるのだ。

これで、友人の経済的自立が確保されていると言えるのだろうか。

 

「結婚というかたちにこだわらず、これからも肉体関係だけ維持しつつ、歳を取る」って、私には納得の行かないことだ。

「相手は誰でもいいからひとりにはなりたくない」ということでもあるのかもしれないが、私はお互いに不誠実だと思う。

 

私個人としては、対象が誰であれ、“愛情”には常に真摯に向き合うべきだと思っている。

友人たちの関係は、私には愛情と真摯に向き合っていないように感じるのだが、これって今の日本ではありふれたことなのだろうか。

そうだとすれば、私のモヤモヤも的外れな、ただの思い込みなのかもしれない。

 

って言うか第一、愛情を向ける相手も向けられる対象もないくせに、BBAが偉そうに語んなよ、って話なのは十分承知しているんだけどね。(;´∀`)