みみずくDiary in China (だった)

中国留学からニッポンに帰国したみみずくによる普段着の徒然日記

アンガーコントロール

私にとっていくつになっても難しいこと、それはアンガーコントロールだ。

特に私のように、不安定かつ海外でのひとり暮らしをしていると、アンガーコントロールの難しさは覿面に精神面に影響してくる。

周りの留学生を見ていても思うのだが、ここ中国においても、生活上のストレスは女性の方が大きいと思う。

よく、「中国は男女平等だから」という輩がいるが、それは大嘘だ。

国連のレポート通り、中国のジェンダーイクオリティなんて、日本よりずっと低い。

だから、タクシーに一人で乗れば運転手に回り道をされるし、市場に買い物に出ればボッタくられるし、もし日本人と分かると見知らぬ男性に卑猥な言葉を投げつけられる。

 

じゃあ、日本にいると腹が立たないのか、というとそうでもない。

日本では上記のことは経験がないが、痴漢という性犯罪が野放しにされているので、その点生活しづらい。

そしてその痴漢という性犯罪は、なぜか「性犯罪」と認識されていないし、容姿に恵まれない女性が被害に遭うと、「お前なんかが図々しい」となぜか被害者女性が非難される。

これは本当に理解できないことである。

「図々しい」ということはまさか、痴漢犯罪を行う性犯罪者は、女性の身体を「触ってやっている」とでも思っているのだろうか。

日本では、卑劣な犯罪行為よりも、女性の美醜の方が問題とされるのだ。

 

まれにではあるが、男性に生まれていると楽だな、と思うことがある。

特に、日本の男性は楽に思える。

「男性だ」というだけで、日本中の女性がちやほやしてくれる。

生涯賃金が下がり、終身雇用制も崩壊し共働きが基本になったにも関わらず、家事・育児・介護も「仕事」を言い訳に女性に丸投げしても文句を言われない。

女性も社会で働いているのに、そこだけは都合よく無視しても非難されない。

不都合があれば女性にだけ「頑張れ」「輝け」って言っておけばいいし、少子化だって「産まない女性が悪い」「結婚しない女性が悪い」と言っておけば免罪符になる。

女性の社会進出で、「男性ひとりの収入で家族全員を養う」という、日本男性の負担は軽くなったのに、日本女性は更に負担が増えただけだ。

日本女性は、十分に「頑張って」いるのに、これ以上どうやって「輝け」というのだろう。

 

色々な国の男性を見ていると、大抵の国の男性は、女性のご機嫌を取るのに必死だ。

女性のために必死でサービスをする。

しかし、日本に限って言えば正反対で、日本女性は男性のご機嫌を取るのに必死だ。

日本女性は、男性のために必死でサービスする。

 

海外の男性を見ていると、女性に選ばれるために努力をする。

日本では、男性に選ばれるため、日本女性は必死で努力する。

 

また、例えば日本で幼児虐待事件が起こると、人々の怒りの矛先は、「母親」である女性にしか向かない。

虐待が起こるに至った経緯に、なぜか「父親」の存在は出て来ない。

シングルマザーの問題だってそうだ。

シングルマザーである「女性」を無責任だとか責めることはあっても、その子の「父親」の責任は誰も問題にしない。

産みの痛みをも経験し、髪振り乱してひとりで子どもを育てている「母親」は批判の対象となるのに、その子の存在すら捨てた「父親」は無罪放免だ。

望まない・予定外の妊娠で、どちらにせよ傷付くのは女性なのに、産んでも産まなくても、結局女性が責められる。

 

家庭内においては、「父親」「息子」が優先され、「母親」や「妻」「嫁」「娘」にちやほやしてもらえる。

「父親」「夫」の役目を果たしていなくても糾弾されることは少ないが、「母親」「妻」「嫁」は、役目を果たしても果たさなくても、どちらにせよ責められる。

バラエティ番組を見れば、「女性の癖に料理もできないの?」と料理の不得手な女性を馬鹿にする番組が受けている一方、包丁を握ったことすらない男性の存在は誰も馬鹿にせず、当然のこととして受け入れられている。

 

日本男性はいくつになっても、自分が女性を「選ぶ立場」にあると思い込み、自分の年の半分以下の女性にとっても、自分が「男性の範囲」にいると思っている。

まともな一般女性にとって、一回り以上歳上の男性なんて、異性ですらない、という事実をいくつになっても理解できない。

(第一、それほど年下の女性と話や価値観、精神年齢が合う年上男性って、個人的にはかなり地雷な気がするのだが。)

日本男性にとって、女性は、若さだけが評価の対象だ。

いくら才能があって優れていようが、そんなのはどうでも良い。

とにかく、若ければよい。

 

日本男性にとって、一定年齢以上の女性は、自分よりも精神年齢が高く理知的で生活能力も群を抜いて優れており、自分の異常な幼さが際立って自尊心が保てない。

だから、一定年齢以上の女性を「ババア」と呼んで侮蔑するが、精神年齢が低いうえに「ババア」以上に外見のくたびれた「ジジイ」なんて、「ババア」だってお断りだよ、という真実には永遠に気付かない。

日本男性は、自分の年齢はどうあれ、女性を糾弾したかったら取りあえず「ババア」と罵っておけば良いのだ。

 

職場においても、気の利かない男性職員は当然の存在として受け入れられており、男性職員は女性職員に気すら遣わない。

しかし、気の利かない女性職員は、「存在価値無し」として徹底的に糾弾される。

年上の女性職員に、平気で「お茶淹れて」と言って、何の疑問にも思わない男性職員なんて、日本社会に掃いて捨てるほどいる。

職場においてすら、女性は男性の顔色を窺わねばならないのだ。

 

日本女性は、日本男性のメンツを立て自尊心を維持するため、常にヨイショして努力している。

しかし、逆はどうだろう。

日本男性は、日本女性の素晴らしさには気付いていない。

世界を探しても、これだけ家事・育児・介護をして、男性のために一生の時間の多くを割く人生を送っているのは日本女性くらいなのに、それを知ろうともしない。

そんなこと、彼らにとっては当たり前のことで、評価すべきことでも何でもない。

 

日本の社会は、「母親」「妻」「嫁」「娘」「女性職員」「女性被害者」を更に責めまたは貶める社会であって、労わったり感謝したりする社会ではない。

 

日本の国の政治・経済・司法等の中枢は、見事に男性が多くを占めるのに、直接的な金銭などを産まないが国の発展にとっては最も重要な、家庭や育児などの一見地味な、表に出づらい隠れた部分においては、突然「男性不在」になる。

変わっていない。

ずっと、ずっと。

 

そして、不思議なことに、こういうことを日本で言うと、なぜか日本女性が怒るのだ。

日本では、「日本女性は頑張りすぎ」というと、なぜか日本女性が憤慨する。

私には、とても奇異に映る現象だ。

 

私は何に怒ってるのか。

それは状況の不可解な偏りにである。

何年経っても、日本の状況は良くならない。

逆に、ますます女性を苦しめる状況が進行しているだけだ。

 

憤っている。

毎日男性の顔色を窺って窮屈な思いをせざるを得ない、日本女性の置かれた状況に。

そしてそれを当然のこととして、変化させない日本社会に。