吐き気がする
こういう事件が起こるたびに、日本では(正確に言うと、日本だけではなく、アジア全般的にだと思うが)なぜか“被害者”である女性の非を責める、不可解な現象が生じることが多いと思う。
正直にはっきりと言う。
吐き気がする。
責められるべきは一寸の疑いようもなく、加害者に他ならない。
女性の落ち度を責める前に、加害者の非人道的かつ人権軽視の思想および行動を責めるべきじゃないのか。
性犯罪は、その被害者の性別に関わらず、「魂の殺人」だと私は考えている。
被害に遭ったその瞬間から、肉体は生きていても心は完全に死んでしまうのだ。
肉体に命が残っていても、二度と蘇らない魂を抱えたまま、その後の長い人生をどうやって生き永らえろというのか。
少し考えただけでも、それがどんなに辛く苦しいことか、まともな人間ならすぐに理解できるはずだ。
今回の事件の場合、加害者は日本の高等教育の最高峰、日本国立東京大学の学生及び大学院生である。
日本の労働者が汗水垂らして苦労して納めた税金で、日本最高と言われる研究環境と教授陣を与えられて勉強させてもらっているにもかかわらず、加害者の誰ひとりまともな人間ではなかったのだ。
(“ヒト”ですらなかったのかもしれない。)
まともな人間であったら、万一犯罪を教唆される場面に遭遇しても、
- 自分の身内が性被害に遭ったら…
- 自分の大事なあの人が性被害に遭ったら…
などという想像力が抑止力として働くし、まずそのような場面に遭遇する可能性も、ほとんどない。
もう一度言う。
吐き気がする。
性犯罪被害者は、死んだ魂を抱えたまま、その後の人生を生き地獄の中でサヴァイヴしなければならない。
加害者だけが安穏と生き延びてよいという道理はない。
特にこの事件の場合、順調に事が進んでいれば、加害者は日本の行政や司法、経済などの中枢に位置する可能性のあった輩である。
社会道義上、そのような立場にある人々には、世間一般で求められる以上に高い道徳心やモラルが身に付いていて然るべきである。
うやむやにならず、彼らがきちんと法的・社会的制裁を受け、間違っても権力や経済力を掌握する可能性のある地位に決して就くことのないよう、強く望む。