間抜け
を中国語で言うと、马大哈(madaha)。
数日前に「日本語にはないよね、この表現」と言われて、あると言ったのになぜか「ない」と言い張られた…中国人に。
なぜネイティブの言うことを信じないし。まあいいや。いつものことだし。
ここにいるといつも思うのが、「非適材不適所」。
例えば、講義などで日本事情について出てきた際、出席者の誰かが日本人である私に「本当にそうなのか」などと聞く。
しかし、私が答えると、その答えが何であれ、中国人学生の中で最も成績の良い学生になぜか再確認するのだ。
もちろん、その中国人学生は日本については何も知らない。日本なんて、行ったこともない国だ。
なのになぜか「さあ?違う/そうなんじゃない?」と答える。
すると、私が言ったことはどうであれ、その学生の回答が「正解」とされ、同時にその場にいる中国人が皆安心して終了する。…じゃあ最初から聞くなよ。(-"-)
ぶっちゃけ、この回答の信憑性はゼロどころか、マイナスである。
しかし、ここでは
- 中国人の発言力 ≧ 日本人の発言力
なのだ。中国人は、中国人の言うことしか信じない。
外国事情であっても然りだ。その国の人の言ったことであっても、信じない。
この国における、外国事情についての情報や発言の信憑性で言えば、
- (旅行等で)その国に行ったことのある中国人 ≧ その国出身者
である。
その国で生まれ育ったネイティブよりも、旅行含め2~3日その国へ行ったことのある中国人の情報を信じる。
この国では、いつもそうだ。何度もそのような場面に遭遇してきた。
日本では、中国事情を中国人に聞いて、それを中国のことを何ひとつ知らない日本人に再確認するなど、そんなバカげたことなんてまずない。
それに、中国生まれ中国育ちの中国人のもたらす情報を疑って、旅行で中国に2~3日行っただけの日本人の情報を盲信するようなことも、まずもってない。
ましてや、その情報について何も知らないくせに肯否定することもないだろう。
美容についてもそうだ。
日本だったら普通、年齢の割に綺麗だとか、実際に努力をしていて、その効果が外見に表れている人にその秘訣を聞く。
しかしここでは、自分の知り合いの中で、最も地位が高いか、権力のある人に聞く。
ちなみに、該当者が全然外見に気を遣っていない人であっても、聞く。
…一体何の意味があるんだろう。( ゚Д゚)
多分、彼ら独特の面子(mianzi)を立てるために、権力者に聞くのだろうと考えているが、本気で「非適材不適所」だと思っている。
また、「非適材不適所」で言えば、通訳を中国人に頼むのも、私はあまり賛成しない。
こちらに来て、中国人通訳の訳す中国語を聞いてきたが、ことごとく私情を挟む。
その元々の言語が英語であっても、日本語であっても、正しくは翻訳されない場合が得てしてある。
というのは、その通訳が、本人の知識に無いことは、恣意的に翻訳しなかったりするからだ。
通訳とは、私情を挟まず、中立な立場で正確に言葉を訳すのが仕事だ。
「私情を挟まない」というのは、通訳をする上での鉄則であるし、最初に教え込まれる基本でもあるはずなのだ。
でも、それを全うしている通訳に会ったことがほとんどない。
酷い人になると、自分の知らない知識に対して、「え?本当?」などと言いつつ、首をかしげて、その部分を訳さない。
たまたま遭遇したのがたまたま悪かっただけだとは思うが、あまりにもこのような場合が多いので、私の中国人通訳に対する印象は芳しくない。
(レベルの問題でもあると思うので、それ相応の場では、きっと良い通訳の方が多いとは思う。)
とはいえ実際に、ビジネスの場でも私情を挟んで通訳するらしく、日本人会社経営者から「商談が上手くまとまらない」などと愚痴を聞かされたことがある。
…通訳は、どんなに高くても日本人に頼みなさいよ。その方が、結局お得だわよ。
嘘のような、本当のことが起きてるんだよね。
でもまあ、こんな感じでも上手く回っているのがこちらの社会なので、疑問に思ってしまう私自身が吗大哈、なんでしょうね…。(;^ω^)