みみずくDiary in China (だった)

中国留学からニッポンに帰国したみみずくによる普段着の徒然日記

ありがたい

ここ数日、いささか残念なことがあって気分が少し落ち込んでいるのだけれど、周りの人に随分助けてもらっている。

まずは、お向かいに住む中東人。2日連続で私にハラール料理をご馳走してくれた。

そして彼と行動を共にすると、彼の中国人に対する態度に、いつも本当に感心させられる。

一昔前の日本人もそうであったように、現在の中国人もまた、アジア人の外貌を持たない人々に対して、不躾な視線を投げつける。文字通り頭の先から足の先まで、舐めまわすように、そして穴が開くほどジロジロジロジロ、飽きるまでずっと眺め倒す。

一緒にいる私ですら居たたまれなくなってしまうほど、その視線は強烈に失礼で不快だ。

しかも彼らは、アジア人の外貌を持たない人々は中国語など理解できないと思い込んでいるので、「どっから来たんだろ?」「なに人なんだろな?」などと口にする。

それでも彼は一ミリも嫌な顔をせず、ニコニコと笑顔で、「僕はアラブ人だよ!」と答える。

「中国語話せるのか?!アラブ人ってことは、イスラム教徒か?」と聞かれても、笑顔のまま「そうだよ!」と答える。

すると時に、「アラブ人でイスラム教徒ってことはお前、イスラミックステイト出身だろ?」と茶化される。聞いている私でさえ、冗談でもそんなこと言われたくない、と思う。

それでも彼は、笑って「ははは、そうかもね!…実は…、、、そうなんだ!怖いでしょ?!だったら、おまけして安くしてよ!」と、冗談にして笑い飛ばしてしまう。

私はこちらに来て、日本人であることに対して常々葛藤をもってきた。

嫌なことを言われたりされたり、その度に傷付いたり落ち込んだりしてきた。しかし考えてみれば、それはこの国にいるからであって、この国以外で、日本人だからといって嫌な目に遭ったことは一度もない。

むしろ逆なのだ。

日本人であることがわかると、とても歓迎される。アジア人の外貌を持っていると、よく「Chinese? Japanese?」と聞かれるが、「Japanese」と答えてからの相手の態度の激変具合は、面白いほどだ。相手は時に奇声まで発して、冗談ではなく、リアルに飛び上がって喜んでくれる。そして、自分が持っているお気に入りの日本製品について、好きなアニメやゲームについて、興味のある日本文化について、熱心に語ってくれる。

(同時にじゃあ仮に「Chinese」と答えたら、これほど歓迎してもらえるのだろうか、といつも考える。)

対して彼らの場合、イスラム教徒というだけでどの国に行ってもあらぬ誤解を受けている。

国によっては、ムスリムだからとの理由で、ビザ発給さえ拒否されるという。

実際、彼の友人は英語圏の某国の大学院への入学と、奨学金の受給が決定していた。しかし入国はできたものの、学生ビザを申請したところ、ビザ発給が拒否されたという。

大学発行の、大学院入学許可証と奨学金受給決定書の正規の書類を見せても、「安保上の理由」でビザが発給されず、留学を諦め帰国せざるを得なかったという。

ちなみにその人も、中東出身のムスリムというだけで、危険思想もなければ、特定団体への参加経験もない、平和なただの一市民である。

誤解のないように言っておくと、ムスリムという言葉自体が、アラビア語で「平和」を表すそうで、彼らは平和を愛する人々である。

日本や諸外国でも、仏教やキリスト教を名乗り事件や社会不安を引き起こしたりした過激な団体があるが、一般的な感覚としては「それは仏教/キリスト教じゃない!一緒にするな!」だろう。彼らの宗教とて同じことである。

ここでも、他の国でも常にテロリスト扱いされて、私だったらどう感じるだろう。

彼のように誰も傷つけず、朗らかに対応できるだろうか。

彼の対応を見ていると、自分がとても小さく感じる。

そして前にも増して、ムスリムへの理解が深まるのだ。

その他、以前のエントリーで紹介した、偶然知り合ってお節介を焼いてしまった日本人の女の子、そして台湾にいる友人たちも、偶然次々に連絡をくれた。

彼女のお手伝いをしたり、彼らの相談に乗り、欲しい情報を探して中国語でやり取りをしていると、幾分気が紛れる。

何かで見たのだが、人は自分のために何かをするよりも、「誰かのために」何かをした方が、得られる満足度が高いそうだ。

それはきっと本当だ。

今の私がそうだもの。こんな私でも、誰かのために何かができる。

そう思わせてもらえて、ありがたい。

みみずく、皆々さまに生かされて生きております。本当だよ!

ありがとうね。