イスラーム世界への理解
以前のエントリー
でも触れたが、気付けば私の周りはムスリムだらけである。
元々宗教に対するアレルギーは、私にはない。
日本人は“宗教”を胡散臭いと感じている人が多いような印象があるが、私にとっては逆で、特に海外において、宗教を持たない人こそ胡散臭いと常々思っている。
外国人と付き合う際に、その人がきちんとした倫理観や良心を持っているかの手っ取り早い物差しがつまり、“宗教”である。
「無宗教だよ」という人であっても、人柄も良く信頼できる人だと、よくよく聞いてみると両親がクリスチャンやムスリムで、キリスト教やイスラム教のお祭りをきちんとやる家庭で育っていたりする。
しかし、まったく宗教的倫理観のない(というか、宗教自体を過去に否定してしまった)私が今いる国だと、とんでもない人なんて、マジでたくさんいる。もちろん、そうでない人もいるけど。
何度も痛い目に遭って、私の中で宗教は相手を量る物差しになった。
で、ようやくタイトルに言及するが、ムスリムと交流するようになってはや数年。
年々ムスリムへの理解が進むにつれて、イスラーム世界への理解も少しばかり深まってきた。
「イスラーム」と聞けば、短絡的な人はすぐに「危険だ」、などと思いがちであるが、実は全くそうではない。
イスラームの多くの宗派はとても平穏な思想であり、それを信仰する人々も、人柄もとても穏やかで信頼できる人が多く、共通しているのは皆思いやりにあふれている。
たまたまなのかも知れないが、知り合った敬虔なムスリムの方は皆さん例外なくそうなので、やはり宗教の教えは人々の人となりにかなり影響を与えるのだと理解している。
何らかの見返りを求めてしか行動をしない、言い換えれば、見返りのあるものに対してだけ行動をするこの国において、ムスリムの友人たちの無償の行為には、本当に感激した。
聞けば、現在ムスリム人口は16億人に達したそうで、しかも増加中ということだ。
世界の人口が60億として、大まかに3人にひとりがムスリム、ということになる。
ということは、これからもムスリムに出会う確率は極めて高い。
自分の研究と平行して、やはりイスラームへの理解を高める必要がある。
そうヒシヒシと感じる今日この頃である。