みみずくDiary in China (だった)

中国留学からニッポンに帰国したみみずくによる普段着の徒然日記

“日本男性”私考

こちらに来て、友人として日本人男性と中国人男性、そしてその他アジア系男性や少数の欧米系男性と交流する機会があるのだが、つくづく思うのが

日本人男性は、尽くされ慣れている

ということ。

 

この場合の「尽くす」とは、母親であったり、女きょうだいであったり、女友達や女性同僚など、その男性を取り巻く全ての女性を指す。

特に母親から尽くしに尽くされて(つまりは過保護に)育っている日本男性が多く、また、“男性は尽くされるもの”という意識が強いのか、どのような容姿の男性であっても、女性に対して常に上から目線であることが着目に値する。

また、ごく自然にまたは無自覚に“女性は男性を喜ばせ、もてなすもの”と考えている人も多い。話していると、本人は無意識なのだろが、「アンタ、一体何様だよ」という上から目線の“女性論”を語られるので、聞くこちらとしてはたまったものじゃない。「鏡を見て出直して来い」と言いたくなるのをグッとこらえ、笑顔で聞き流す。

“男性のみが女性を選ぶ権利を有する”という前時代的な思想を未だに持っている若い世代が多いことも、驚いてしまう点のひとつだ。

対する中国人男性やその他アジア系男性、欧米系男性は、文化的背景なのか、また中国に限って言えば、人口の極端な性別不均衡が影響しているのか、“男性は女性を楽しませ、もてなすもの”という考えの人が多い。

日本とは真逆の思考である。

よって、私は単に日本的な感覚でその友人たちと接しているだけなのに、“日本女性は優しい”などと、いたく感激されることが多い。

また、こちらで知り合った、日本女性を妻としている方々(中国人・アジア人、欧米人すべて含む)は、口を揃えて「日本女性の良さを知ってしまったら、自国の女性に興味が持てない」とおっしゃっていた。(ホンマかいな。)

つまりは、それほど日本女性が無意識に男性をたて、もてなす文化(日本)で育っているので、そうではない文化の外国でウケが良い、ということだろう。

 

このことに関連して、先日こういうことがあった。

日本にいた時、ちょっとした関わりのあった日本男性が、「欲しい中文資料があるので、買って日本まで送ってほしい」と連絡してきたのだ。

確かに、数回あるやりとりの中で、「お手伝いできることがあったら、言って下さいね」とは言っていたが、正直、今までその方にほとんど何もしてもらったことがない。(というか、ぶっちゃけ社交辞令である。)

日本にいて少し関わりがあった際、(その方宛にではないが、その場に)私は差し入れを持って行ったりと、それ相応のサービスはしていたのだが、その方からは特に無し。

また、数カ月前にこちらのとある都市でお会いしたのだが、そこでも何かコーヒーの1杯でもご馳走になったとか、そういうことも一切なし。

何か少しでもお世話になっていれば、そのお願いも無理してでも叶えて差し上げよう、と思ったのだが、肝心のGIVEが何もなかったので、その義理がないな、と思ってしまったのだ。

しかも決して安くはないその資料と国際送料。こちらでカツカツの生活をしている私が、自分の生活を危機に陥れてまで叶えてあげる必要があるとは、到底思えなかった。

多分、その方はサービスされること、尽くされることに慣れきってしまっていて、私が無償のサービスを尽くすものと思っていたのだろう。

そうは問屋がおろさなかったのだが。

これも、日本男性がいかに尽くされ慣れているかを量る、ひとつの事例であろう。

 

とはいえ、私は日本男性ばかりを槍玉に挙げる気はない。

日本男性を甘やかしてしまった、日本女性にも問題があるのだ。

一番の問題は、なかなか息子を自立させられない日本の母親にも、責任の一端があると思っている。

勿論、自立した息子を育てるための子育てに参加してこなかった、従来の父親にも責任があるのは言うまでもないが。

 

何だろう、こう長々と連ねていて、最も私が言いたいのは、

物事、何でもGive & Takeッスよ、そこんとこ、ヨロシク!( `・∀・´)ノ

これに尽きる。